さとし日記

都内大学院生のブログ

虚無は虚無として、そのようなゲームだと割り切って乗り切るしかない。授業の課題も日々の生活も。

そろそろ学期末なので、期末課題がどんどん出る。

 

研究もあるので、サクサクと消化していく必要がある。

 

それにしても虚無だ。

 

勉強一般は好きだけど、ちょうどこのタイミングに、ちょうどこの内容をやりたいかというと勿論そんなことはない。

 

この与えられたものをこなしていく受け身な感じが耐え難くなってきた。

 

それでも、一応在学中は真面目に取り組むと決めたので、ちゃんとこなしている。

 

一方で、なんでもかんでも「完璧」を求めて、時間をかけすぎるのは良くない、と少し前に思ったので、適当なところで見切りをつけることも意識するようにしている。

 

存在し得ない「完璧」を求め、1つのことに時間をかけすぎるのは、機会損失が大きすぎると思ったからだ。

 

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ある授業の中間課題では、普段の1/5程の時間しか費やさず、「流石にまずいかな……?」と思っていたものが、90/100という評価でとても驚いた。

 

自分が費やしていた時間の80%は90を100に近づけるための時間だったのか??

パレートの法則では「仕事の成果の8割は、費やした時間全体のうちの2割の時間で生み出している」とはいうが、それに近い結果となった。

 

これまでも1/5で切り上げていたら、単純計算で5倍の量の90/100の成果物を生み出すことができていたと思うとなんとも言えない気持ちになる。

 

このことに早めに気がつけて良かったということにしておく。

 

 

それにしても課題が面倒であることには変わりない。

今までよくこなしてきたものだ。

教授も採点が面倒だと思っていそうだし、学生もやるのが面倒だと思っていそうだし、これ要らなくない?という気持ち。

 

これが早く教育機関から退きたい理由の1つだ(教育機関が不要だという考えではない。自分でやりたい人は自分でやれば良くない?という感じ)。

 


あと1ヶ月はゲームだと割り切って乗り切るしかない。

 

テレビゲームのような所謂「ゲーム」はただのデジタル情報であり、その中でいくら頑張ろうと何かが生まれるわけではない。

授業の課題もやったからといって何かが発生するわけではないので同じようなものだ。

 

まぁそんなことを言い始めたら、人生もそんなものだけど。

その人が生きていたからといって、ヒト全体、地球全体、宇宙全体から見て何か意味があるかというと殆どないと思う。

 

あらゆることは広義のゲームだと割り切るしかない。

 

デジタルデータであっても熱中して充実感が得られるように、人生も「生きる意味」みたいな高尚なことは考えず、ただ目の前のことに熱中して楽しんでいれば良いのかもしれない。