さとし日記

都内大学院生のブログ

言語習得のために単語や文法を勉強するのは、水の性質を知るために水素や酸素の性質を勉強するのと同じなのかもしれない。「全体」と「部分」の関係について。

「全体」と、「全体」を構成する「部分」の関係というのは非常に難しい。

 

タイトルにも挙げたが、水の分子式はH₂Oであり、2個の水素原子Hと1個の酸素原子Oから構成される。

 

しかし、水分子の持つ性質というのは、水素原子または酸素原子の持つ性質とは全く異なる。

 

よって、水分子の性質というのは、水素原子と酸素原子の性質の単純な和ではなく、両者の相互作用、結合様式に依るものであると考えられる。

そして、その「相互作用、結合様式」、あるいはそれが持つ/生み出す性質というのは、厳密に書き下せるものでもない。

 

 

上記のような話は「機械論と生気論」の議論に関連する。

 

少し前に、「脳に存在する神経伝達物質等もそれらを構成する粒子は物理法則に従うので、ある人がどの時刻にどんな行動や意思決定を行うかは予め定まっており、"自由意志"なるものは存在しないのではないか」と考えた。

 

そして、これは拡張すると、ビッグバンから現在に至るまでの、宇宙で起こった全ての現象(生命の誕生から、それらの活動に至るまで)は、理論上は予めわかっていたという話になる。

 

 

これは機械論と言われるものらしく、それに関連することを調べてみたことがあった。

 

機械論と生気論については、現在も折に触れて考えているテーマであり、詳細はまたの機会に書いてみようと思う。

 


簡単に書くと、「部分」を足し合わせても「全体」にはならないと考えるのが妥当ではないかということ。

「全体」と「部分の総和」との間には、「差分的な全体」があるはずである。

 


これを言語学習に当てはめてみると、ある「言語」という「全体」を知るために、その「部分」としての「単語」や「文法」を勉強するのはあまり本質的ではないということ(もちろん完全に無駄ではない)。

 

 

それよりは、まず「全体」としての言語、つまり、意味のある文章の纏まりを読んだり聴いたりする。

そして、曖昧な「部分」を調べて理解するなり、覚えるなりする。

そうすることで、「差異的な全体」を含んだ状態で、「部分」の穴を埋められると考えた。

 


実際に、現在フランス語を勉強しているが、単語や文法の勉強は殆どしていない。

いきなり、フランス語で書かれた本を読んだり、Podcastを聴いたりしている。

 

そして、内容のキーとなる単語で、これがわからないと主題すら把握できなくなりそうなものや、どうしても気になる文法だけ簡単に調べる方針にしている。

 

最近はなかなか言語学習に時間が割けていないが、徐々に理解度は上がっている実感がある。

 

 

 

英語学習においても似たような気づきがあった。

自分は日本で生まれ育ち、典型的な日本の英語教育を受けた。

中高生の頃、単語や文法を勉強しても大して英語の運用能力は上がらずに悩んでいたが、たくさん読んで、書いて、聴いてということを繰り返すようになってからようやく向上が見られた。

 

これは意味のある文章の纏まり、つまり、言語としての「全体」に触れることで、「差異的な全体」を補うことができたからなのではないかと今になって思う。

 

 

 

また、これはあらゆることに共通すると思う。

 

「とりあえず、実際にやってみよう!」、「準備よりもまずは実践!」ということが自己啓発の文脈で語られることが多いが、これは経験から、「差異的な全体」の存在に気がついているからなのではないかと考えた。

 

「部分」が殆ど揃っていない状態でも、とりあえずやってみる、つまり「全体」に触れてみることで、「差異的な全体」を把握することができる。

 

それから、不足している「部分」を補えば良いという話だと考えた。

 

 


とりあえずは、この仮説のもと、フランス語を勉強を続けていこうと思う。