さとし日記

都内大学院生のブログ

日常的に行かない場所を訪れると何かしらの発見があって面白い。これまでは、その1つとして美術館にも行っていたが、最近は明示的に好きで行くことが増えてきた気がする。

少し時間ができると日常の行動範囲外の場所に行くことが多い。

 

ハイブランドのお店、寺院、話題の飲食店などなど。

 

慣れない場所に行くと、勝手がわからず、ぎこちない振る舞いになる。

そして、周りをキョロキョロと見渡して様々な情報を集めようとする。

 

この一連の体験が面白い。

 

日常生活では予想外のことはそこまで頻繁に起こるものではないし、その方が都合が良いことが多いと思う。

勉強や仕事など、集中すべきことに集中するためにも、それ以外の要素は予定調和であった方が良い。

 

ただ、そればかりでは飽きてしまうので、上記のような体験が必要になる。

 


そして、美術館にもそのような動機で行っていた。

その文脈においては、美術館は必ずしも美術館である必要はなく、「日常の行動範囲から外れる場所」の1つに過ぎなかった。

 

しかし、最近は好き好んで行くことが多い。

 

好きな理由は複数あるが、その1つとして、(経済)合理性で説明がつかないものというのは、いくらでも考える余地があるからというのが大きい。

 

芸術家と言えども、一人の人間としての生活もあるので、「どのような作品が世間に受けるか」ということも全く考えないわけではないと思う。

 

ただ、そのような外発的な動機付けと、「何かを表現したい」という内発的な動機付けの比率で言うと、後者が上回っているケースが多いと思う。

 

少なくとも、企業が行う営利活動に比べると、後者の比率は高くなってくると思う(勿論両者に良し悪しとかはないけど)。

 


その結果、経済規範では到底説明がつかないものが生まれるので、受け取り手は色々と考えることになる。

 

なぜこのようなオブジェクトを作ろうと思ったのか、なぜこのようなモチーフなのか、なぜここはこの形状なのかなどなど。

 

その創作物を生み出すに至るまでには、その作者の人生における様々な体験や思想が含まれるていると思う。

 

そのような答えのないことを考えるのは、非常に贅沢な時間のように感じる。

 

ともすれば細切れの大量の情報を処理することに終始しがちな日常とは対照的だ。

 

作品や作者、時代性など、背景知識もあるに越したことはないと思うが、考えを巡らせるだけでも十分に楽しめる。

 


営業を再開しているところが多いので、今度の休みにでもまた行ってみようと思