さとし日記

都内大学院生のブログ

自分の仮説や信念を支持する情報ばかりを集めてしまうことを回避するために、あるニュースサイトに掲載されているニュースは機会的に全て目を通すようにしていたが、少し方針を変えた方が良いかもしれない。他人の不幸を食い物にすることに対する抵抗。

確証バイアス(かくしょうバイアス、英: confirmation bias)とは、認知心理学や社会心理学における用語で、仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向のこと。

確証バイアス - Wikipedia より


これは自分の好みに合う情報だけを得られるように、簡単にカスタマイズできる昨今においては強化されがちな傾向だと思う。

 

自分の考えを支持する情報というのは心地良いものではあるが、バイアスが強化されるのも防ぎたいので、いくつかニュースサイトを決め、そこに掲載されているニュースは毎日全て目を通すようにしていた。

 

また、ニュースサイトによって、扱うニュースや報じ方の傾向にも差があると思う。

そこで、権威的な堅めなものから、ゆるふわなものまでいくつかサイトをピックアップし、更にそれらも一定期間ごとに変更するようにしていた。

 

そして、ニュースのジャンルも国内外の政治、経済、科学から、エンタメ、芸能、スポーツなども幅広く見るように心がけていた。

 


これは基本的には良い方針であったと思っているが、国内の芸能ニュースは、流石にもう良いかなという気がする。

 

芸能ニュースというのは、個々の事象は重要ではなくても、それらの集合は時代性を知る上でも一定の意味はあるものだと思う(どのようなものがニュースになるのかという点でも)。

 

ただ、「〇〇の不倫」とか「嫌いな俳優ランキング」とかも平気で流れてくるのは、受け入れがたいものがある。

 


有名人が批判されているのを見るとカタルシスが得られるのだろうか。

 

自分の人生がうまくいっていないと思っている人にとっては、うまくいっているように見える人が転落するのを見て、同じ穴の狢という感覚が得られるのだろうか。

 

他人の人生が暗転しようと、自分の人生が好転するわけでもないのに。

 


この手のニュースがなくならないのは、それを見る人がいるからであり、自分もその一員になるのは金輪際やめることにした。

 

このようなところから情報の選り好みというのは始まるので、慎重になっていたが、こればかりは致し方ない。

 

自分一人が見ないようにしたからといって大きく状況が変化することはないと思う。

 

ただ、他人の不幸を食い物にすることに対するせめてもの抵抗ということにしておく。

完全に自由よりも、制限を設けた方が人の創造性は上がるらしい。梅雨の時期は、雨が人の行動を抑止することでその役割を果たしているのかもしれない。

雨に対しては良いイメージがなかったが、家にいる分には特に問題はない。

 

それどころか、雨音を聞きながらゆっくり読書するのは気分が良いものだ。

 

自分が嫌だったのは、「雨が降っていること」ではなく、「雨の中通学(移動)すること」だったのだということに数日前ふと気がついた。

大したことではないようだが、個人的には大きな意味を持つ。

 

 

雨が降らないように願ってもその通りにはならないが、雨の日に外に出ないことはその気になれば実現することができる。

 

雨だろうがなんだろうが通学(移動)することに慣れてしまっていたが、そこをうまく切り離すことで気分が下がる機会を減らすことができる。

 

絶対に外せないポイントではないが、自分の将来の選択における考慮事項の1つになった。

 

 


天候だと大袈裟に聞こえるが、自分の好き嫌いというのはなるべく正確に把握しておいた方が、より幸せに暮らすことができる思っている。

 

www.satoshi86.com

 

小さなことでも積もり積もって大きな違いを生むものだ。

 

 

 

大学院の授業は今学期いっぱいはオンラインで行われる。

研究も論文を読んだり、PC上で完結するシミュレーションを回したりなど、家でできることをメインで行っている。

 

晴れの日であれば、空いた時間に買い出しに行ったり、カフェに行ったり、散歩をしたりで、外を出歩くことが多いが、雨の日はその時間の殆どを家で過ごすことになる。

 

すると、ぼんやりと考え事をしたり、部屋の片付けをしたりといった、いつもと違うことをすることになる。

 

これが毎日続くと気が滅入ってしまうと思うが、たまにだと様々な気づきがあって良い。

 

日々の生活や勉強についても、「もっとこうした方が良いかな」とか「こんなことをやってみよう」というアイデアがたくさん思いつく。

 

意図的にゆっくりとする時間を設けることが苦手だからこそ、雨にその役割を果たしてもらうのは良い考えかもしれない。

 

今週一週間は雨の予報だ。

特に書類の不備もなく、無事に法人登記が完了した。『会社の目的』の一つに「服装に関する指導及びコンサルティング」を入れてあるので実質ファッションリーダー。

定款の内容を変えるのには別途お金がかかる。

 

事業目的の変更の場合は、登録免許税として3万円が課される。

それならば、予め多くの事業を含ませておいた方が良いのではないかと思い、「事業目的」の例一覧を見ながら、それらしいものをたくさん入れておいた。

タイトルにあるファッションもその1つ。

 

www.satoshi86.com

 

www.satoshi86.com


昨日「法人番号指定通知書」というのが届いた。

 

f:id:satoshi86:20200627054944j:plain

書類に不備がなければ約1週間で手続きが完了すると言われたが、本当にちょうど1週間で届いた。

 

提出書類に不備があった場合は連絡が来ることになっていたが、特に問題なかったようだ。

 

法人番号というのは、マイナンバー(個人番号)の法人版のようなものらしい。

 

申告書や法定調書などを税務署に提出する時に必要になるとのことだ。

 

「申告書や法定調書」と言われても、現時点ではイマイチ何のことかわかっていないが、いずれわかってくると思う。

 


今現在、自分という一人の人間に対して、自然人としての個人番号と、法人としての法人番号が同時に割り当てられている状態だ。

 

「組織」のような実在しない概念に対して、法的実体を与え、「ひと」として扱うのは、今では常識として浸透しているが、考え方としてはとても面白いと思う。


そして、その「組織」は1人でも問題ないというのがさらに奥深い。

 


もう1つ個人と法人の関係で興味を持っているのは、両者の「所得」への課税についてである。

 

個人の消費は、所得税を払った後の税引き後利益が原資となる。


一方、法人の消費は、税引き前の収入で行われ、その後に残った利益に対して、法人税が課される。

 

その結果、全く同じ人が、同じ税率の基、同じ経済活動をしても、個人として扱うか、法人として扱うかで、最終的に手元に残る金額が異なってくる。

 

e.g.
所得: 100万円、消費: 50万円、所得税率: 30%の場合、最終的に手元に残る金額は、
個人→100万円 × (100 - 30)/100 - 50万円 = 20万円
法人→(100万円 - 50万円) × (100 - 30)/100 = 35万円
といった具合だ。

 

実際には個人と法人では税率が異なる。

ただ、両者共に所得金額によって税率は変化するので、簡単のため同じとした。

 

さらに追記すると、所得金額による税率の変化を考えて、うまく個人と法人を使い分けたりする場合もあるそうだ。

 

個人的にはこの辺りの法律は歪んでいると思う。

 

そして、その原因は「法人税」という存在にある気がしている。

 

法人というのは所得があってもそれを使うことはできず、個人に分配されて初めて使うことができる。

 

それならば、アメリカのLLC(Limited Liability Company; 有限責任会社)のように、法人所得には課税せず、出資者に配当された段階で、個人所得として課税するのが妥当だと思う。

 

これに関しては深堀すると長くなるので、別の機会に改めて書いてみようと思う。

日常的に行かない場所を訪れると何かしらの発見があって面白い。これまでは、その1つとして美術館にも行っていたが、最近は明示的に好きで行くことが増えてきた気がする。

少し時間ができると日常の行動範囲外の場所に行くことが多い。

 

ハイブランドのお店、寺院、話題の飲食店などなど。

 

慣れない場所に行くと、勝手がわからず、ぎこちない振る舞いになる。

そして、周りをキョロキョロと見渡して様々な情報を集めようとする。

 

この一連の体験が面白い。

 

日常生活では予想外のことはそこまで頻繁に起こるものではないし、その方が都合が良いことが多いと思う。

勉強や仕事など、集中すべきことに集中するためにも、それ以外の要素は予定調和であった方が良い。

 

ただ、そればかりでは飽きてしまうので、上記のような体験が必要になる。

 


そして、美術館にもそのような動機で行っていた。

その文脈においては、美術館は必ずしも美術館である必要はなく、「日常の行動範囲から外れる場所」の1つに過ぎなかった。

 

しかし、最近は好き好んで行くことが多い。

 

好きな理由は複数あるが、その1つとして、(経済)合理性で説明がつかないものというのは、いくらでも考える余地があるからというのが大きい。

 

芸術家と言えども、一人の人間としての生活もあるので、「どのような作品が世間に受けるか」ということも全く考えないわけではないと思う。

 

ただ、そのような外発的な動機付けと、「何かを表現したい」という内発的な動機付けの比率で言うと、後者が上回っているケースが多いと思う。

 

少なくとも、企業が行う営利活動に比べると、後者の比率は高くなってくると思う(勿論両者に良し悪しとかはないけど)。

 


その結果、経済規範では到底説明がつかないものが生まれるので、受け取り手は色々と考えることになる。

 

なぜこのようなオブジェクトを作ろうと思ったのか、なぜこのようなモチーフなのか、なぜここはこの形状なのかなどなど。

 

その創作物を生み出すに至るまでには、その作者の人生における様々な体験や思想が含まれるていると思う。

 

そのような答えのないことを考えるのは、非常に贅沢な時間のように感じる。

 

ともすれば細切れの大量の情報を処理することに終始しがちな日常とは対照的だ。

 

作品や作者、時代性など、背景知識もあるに越したことはないと思うが、考えを巡らせるだけでも十分に楽しめる。

 


営業を再開しているところが多いので、今度の休みにでもまた行ってみようと思

食洗機導入後の時間の浮き方とストレスの軽減は予想を遥かに超えるものだった。来月集中的に働いて、ドラム式乾燥機付き洗濯機を購入することにした。

食洗機を使い始めてから20日くらい経つが本当に買って良かったと思っている。

(↓2020-06-05の記事は途中で話が逸れて1,300字ほどの長文になってしまったが、要旨は「食洗機を買った。めっちゃ楽。」の14文字。)

www.satoshi86.com

 

食後に皿を洗う手間がなくなり、さっさと風呂に入り、寝るまでの時間を読書に使うことができるようになった。

 

そして、時間ができただけでなく、ストレスも大幅に軽減された。

 

満腹になって気分が良いまま、面倒な労働に水を差されることなく一日を終えることができるのはとても快適だ。

心なしか寝つきが良くなった気すらする。

 

そして、想定外の効用としては食事の品数が増えたことにある。

 

これまでは、無意識のうちに、皿洗いが億劫に感じ、種類を制限していたことがわかった。

 

決して安い買い物ではなかったが、一切の後悔がないどころか、2020年に入ってから、最も良い買い物の1つだったと自信を持って言える。

 

 


日常的な家事の手間を省くことの効用が確かめられたので、次の標的は洗濯になる。

 

この時は予算の関係でドラム式乾燥機付き洗濯機の購入は見送り、普通の電気洗濯機(無印良品「電気洗濯機・7kg MJ-W70A」)を購入した。

www.satoshi86.com

 

しかし、これを売ってドラム式乾燥機付き洗濯機を購入することにした。

現在考えているのはこれ

 

 

洗剤も自動で入れてくれる優れもの。

価格的に今すぐには難しいが、来月中には買えるように色々と工夫していく。

 

衣類の洗濯が食器洗いよりもタチが悪い点は、天候に左右されることにある。

 

天気予報を見ながらタイミングを伺うのが面倒。

余計なことに頭を使いたくない。

 

仮にずっと晴れで、いつでも外干しができるとしても、単純に濡れた洗濯物をハンガーにかける作業が面倒。

そんなことに時間が取られて、一日の予定の自由度が減じられるのは本当に勘弁して欲しい。

およそ人間がやるべきこととは思えない。

 

 

と書いていて気がついたけど、洗濯機ベランダにしか置けないし、最上階ではないけど構造的にベランダに屋根ないし、結局雨の日は使えないのでは、、、

まぁ少しでも手間が減るなら良いか。。。

 

負担軽減のために頑張るぞ。

「〇〇系」・「〇〇型」をはじめとする安易な単純化は極力避けたいところ。

世の中の事象の殆どは、0,1のようなわかりやすい区分ではなく、スペクトラム状になっているものだと思う。

 

ただ、多くの場合、その複雑さをそのまま理解することは人間には難しく、ある程度単純化して理解したつもりにするというのは致し方がない。

 

一方で、極力理解しようと努め、常に自分の理解が十分でないことを自覚することも重要だと思う。

 


普段自分が勉強する時も、知識を増やそうというよりは、思考の根幹を成すような抽象的のものを扱うことが多い。

 

それらはとても難しく、勉強するのに膨大な時間がかかってしまうが、ものを考える時の解像度が上がる感覚が得られ、同時にこれまでの自分の思考の浅薄さを思い知ることになる。

 

この一連の流れは往々にして強い衝撃を伴うので、報酬系が刺激されクセになる。

自分が「勉強」が好きな理由の1つはここにあるような気がする。

 


やや話は逸れるが、このような営みにより、精神の安寧を保てている部分はある気がする。

 

世の中の諸問題に関心を持つことはとても重要だと思うし、自分も毎日ニュースを確認して色々と考えるようにしている。

 

ただ一方で、全てに心を動かされていたら、気疲れしてしまい、まともな精神状態を保つことが難しくなってしまうと思う。

 

揺れ動く部分があるのは当然だと思うが、自分の中に思考の「土台」のようなものがあると、扇動的な言動にも過度に流されず、平静を保てることが増えてくるように感じる。

中国の人名、地名の場合、今でも音ベースではなく、文字ベースで日本風にローカライズするのが面白いと思った。

歴史的に、漢字を元に平仮名・片仮名が作られたわけだから、当然と言えば当然かもしれないけど。

 


英語やフランス語の勉強のために、それらの言語のニュースを毎日聴くようにしている。

 

英語でもフランス語でも、「習近平」は「シュウ・キンペイ」ではなく、「シー・ジンピン」と発音される。

 

おそらく中国語(北京語)での、「习近平(Xí Jìnpíng)」の発音に即した読み方にしているのだろう。

 


基本的に、日本語以外の言語の単語を日本で使う時は、その発音に近い片仮名で表記することになると思う。

 

しかし、中国語の場合は、現在中国で一般的に使われる簡体字に対応する、現在日本で使われている漢字を当て、その漢字の日本での音読みで呼ぶことが多いと思う。


「シュウ・キンペイ」と言っても、日本以外では基本通じないと思うので、どうかとも思うが、「習近平」と表記した方が「习近平」を見たときにすぐに判別できる。

 

(というより、漢字が日本でも使われ始めた当時に当てられたのが、いわゆる「音読み」だから上の表現はやや不適当だとは思う。漢字を経由せず、ダイレクトに音で寄せて表記するといった感じだろうか?)

 

現代においては、外来語は音ベースでローカライズした方がスムーズなことが多いと思うが、この辺は利便性どうこうではなく、慣習の問題だと思う。

 

ふと思いついたのでメモ的に書いているが、いくらでも掘り下げることができそうだ。。