さとし日記

都内大学院生のブログ

寝る前の読書の新たなお供は、M&R•フリードマンの『選択の自由[新装版] — 自立社会への挑戦』にした。国家のあり方などを再度考えたい。

1, 2時間で読み終えてしまう内容だと、「読み終わるまで寝ない」ということが起こりがちなのでそれなりの厚みがあった方が良い。

 

その点これは500ページ超あり、1ページあたりも文字数も多めなので、ちょうど良いと思った。

 

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Kindle版が見当たらなかったから、大学図書館で借りてきた。入構申請をすれば入れるようになったから、今後図書館は積極的に使っていこうと思う。

 

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『はしがき』。面白そう。前々から読もう読もうと思っていながら先送りになっていたものにようやく着手する。

 

少し前に「法人」というのはよく考えてみると面白いなと思い、その派生で「国家」についても考えることが増えた。

 

この本は一昨日借りて、昨日までは別の本を読んでいたので、ようやく今日読み始める。

 

昨今の世界の情勢を見ても、国家について再度考えた方が良いなと感じる機会が多いので、ちょうど良いタイミングだ。

 

内容をしっかり理解するように努めながらも、鵜呑みにしないように、ゆっくりよく考えながら読み進めていこうと思う。

 

期末の時期なので、別のことにも頭を使うことで、良い息抜きになれば良いな。

虚無は虚無として、そのようなゲームだと割り切って乗り切るしかない。授業の課題も日々の生活も。

そろそろ学期末なので、期末課題がどんどん出る。

 

研究もあるので、サクサクと消化していく必要がある。

 

それにしても虚無だ。

 

勉強一般は好きだけど、ちょうどこのタイミングに、ちょうどこの内容をやりたいかというと勿論そんなことはない。

 

この与えられたものをこなしていく受け身な感じが耐え難くなってきた。

 

それでも、一応在学中は真面目に取り組むと決めたので、ちゃんとこなしている。

 

一方で、なんでもかんでも「完璧」を求めて、時間をかけすぎるのは良くない、と少し前に思ったので、適当なところで見切りをつけることも意識するようにしている。

 

存在し得ない「完璧」を求め、1つのことに時間をかけすぎるのは、機会損失が大きすぎると思ったからだ。

 

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ある授業の中間課題では、普段の1/5程の時間しか費やさず、「流石にまずいかな……?」と思っていたものが、90/100という評価でとても驚いた。

 

自分が費やしていた時間の80%は90を100に近づけるための時間だったのか??

パレートの法則では「仕事の成果の8割は、費やした時間全体のうちの2割の時間で生み出している」とはいうが、それに近い結果となった。

 

これまでも1/5で切り上げていたら、単純計算で5倍の量の90/100の成果物を生み出すことができていたと思うとなんとも言えない気持ちになる。

 

このことに早めに気がつけて良かったということにしておく。

 

 

それにしても課題が面倒であることには変わりない。

今までよくこなしてきたものだ。

教授も採点が面倒だと思っていそうだし、学生もやるのが面倒だと思っていそうだし、これ要らなくない?という気持ち。

 

これが早く教育機関から退きたい理由の1つだ(教育機関が不要だという考えではない。自分でやりたい人は自分でやれば良くない?という感じ)。

 


あと1ヶ月はゲームだと割り切って乗り切るしかない。

 

テレビゲームのような所謂「ゲーム」はただのデジタル情報であり、その中でいくら頑張ろうと何かが生まれるわけではない。

授業の課題もやったからといって何かが発生するわけではないので同じようなものだ。

 

まぁそんなことを言い始めたら、人生もそんなものだけど。

その人が生きていたからといって、ヒト全体、地球全体、宇宙全体から見て何か意味があるかというと殆どないと思う。

 

あらゆることは広義のゲームだと割り切るしかない。

 

デジタルデータであっても熱中して充実感が得られるように、人生も「生きる意味」みたいな高尚なことは考えず、ただ目の前のことに熱中して楽しんでいれば良いのかもしれない。

言語習得のために単語や文法を勉強するのは、水の性質を知るために水素や酸素の性質を勉強するのと同じなのかもしれない。「全体」と「部分」の関係について。

「全体」と、「全体」を構成する「部分」の関係というのは非常に難しい。

 

タイトルにも挙げたが、水の分子式はH₂Oであり、2個の水素原子Hと1個の酸素原子Oから構成される。

 

しかし、水分子の持つ性質というのは、水素原子または酸素原子の持つ性質とは全く異なる。

 

よって、水分子の性質というのは、水素原子と酸素原子の性質の単純な和ではなく、両者の相互作用、結合様式に依るものであると考えられる。

そして、その「相互作用、結合様式」、あるいはそれが持つ/生み出す性質というのは、厳密に書き下せるものでもない。

 

 

上記のような話は「機械論と生気論」の議論に関連する。

 

少し前に、「脳に存在する神経伝達物質等もそれらを構成する粒子は物理法則に従うので、ある人がどの時刻にどんな行動や意思決定を行うかは予め定まっており、"自由意志"なるものは存在しないのではないか」と考えた。

 

そして、これは拡張すると、ビッグバンから現在に至るまでの、宇宙で起こった全ての現象(生命の誕生から、それらの活動に至るまで)は、理論上は予めわかっていたという話になる。

 

 

これは機械論と言われるものらしく、それに関連することを調べてみたことがあった。

 

機械論と生気論については、現在も折に触れて考えているテーマであり、詳細はまたの機会に書いてみようと思う。

 


簡単に書くと、「部分」を足し合わせても「全体」にはならないと考えるのが妥当ではないかということ。

「全体」と「部分の総和」との間には、「差分的な全体」があるはずである。

 


これを言語学習に当てはめてみると、ある「言語」という「全体」を知るために、その「部分」としての「単語」や「文法」を勉強するのはあまり本質的ではないということ(もちろん完全に無駄ではない)。

 

 

それよりは、まず「全体」としての言語、つまり、意味のある文章の纏まりを読んだり聴いたりする。

そして、曖昧な「部分」を調べて理解するなり、覚えるなりする。

そうすることで、「差異的な全体」を含んだ状態で、「部分」の穴を埋められると考えた。

 


実際に、現在フランス語を勉強しているが、単語や文法の勉強は殆どしていない。

いきなり、フランス語で書かれた本を読んだり、Podcastを聴いたりしている。

 

そして、内容のキーとなる単語で、これがわからないと主題すら把握できなくなりそうなものや、どうしても気になる文法だけ簡単に調べる方針にしている。

 

最近はなかなか言語学習に時間が割けていないが、徐々に理解度は上がっている実感がある。

 

 

 

英語学習においても似たような気づきがあった。

自分は日本で生まれ育ち、典型的な日本の英語教育を受けた。

中高生の頃、単語や文法を勉強しても大して英語の運用能力は上がらずに悩んでいたが、たくさん読んで、書いて、聴いてということを繰り返すようになってからようやく向上が見られた。

 

これは意味のある文章の纏まり、つまり、言語としての「全体」に触れることで、「差異的な全体」を補うことができたからなのではないかと今になって思う。

 

 

 

また、これはあらゆることに共通すると思う。

 

「とりあえず、実際にやってみよう!」、「準備よりもまずは実践!」ということが自己啓発の文脈で語られることが多いが、これは経験から、「差異的な全体」の存在に気がついているからなのではないかと考えた。

 

「部分」が殆ど揃っていない状態でも、とりあえずやってみる、つまり「全体」に触れてみることで、「差異的な全体」を把握することができる。

 

それから、不足している「部分」を補えば良いという話だと考えた。

 

 


とりあえずは、この仮説のもと、フランス語を勉強を続けていこうと思う。

自分の仮説や信念を支持する情報ばかりを集めてしまうことを回避するために、あるニュースサイトに掲載されているニュースは機会的に全て目を通すようにしていたが、少し方針を変えた方が良いかもしれない。他人の不幸を食い物にすることに対する抵抗。

確証バイアス(かくしょうバイアス、英: confirmation bias)とは、認知心理学や社会心理学における用語で、仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向のこと。

確証バイアス - Wikipedia より


これは自分の好みに合う情報だけを得られるように、簡単にカスタマイズできる昨今においては強化されがちな傾向だと思う。

 

自分の考えを支持する情報というのは心地良いものではあるが、バイアスが強化されるのも防ぎたいので、いくつかニュースサイトを決め、そこに掲載されているニュースは毎日全て目を通すようにしていた。

 

また、ニュースサイトによって、扱うニュースや報じ方の傾向にも差があると思う。

そこで、権威的な堅めなものから、ゆるふわなものまでいくつかサイトをピックアップし、更にそれらも一定期間ごとに変更するようにしていた。

 

そして、ニュースのジャンルも国内外の政治、経済、科学から、エンタメ、芸能、スポーツなども幅広く見るように心がけていた。

 


これは基本的には良い方針であったと思っているが、国内の芸能ニュースは、流石にもう良いかなという気がする。

 

芸能ニュースというのは、個々の事象は重要ではなくても、それらの集合は時代性を知る上でも一定の意味はあるものだと思う(どのようなものがニュースになるのかという点でも)。

 

ただ、「〇〇の不倫」とか「嫌いな俳優ランキング」とかも平気で流れてくるのは、受け入れがたいものがある。

 


有名人が批判されているのを見るとカタルシスが得られるのだろうか。

 

自分の人生がうまくいっていないと思っている人にとっては、うまくいっているように見える人が転落するのを見て、同じ穴の狢という感覚が得られるのだろうか。

 

他人の人生が暗転しようと、自分の人生が好転するわけでもないのに。

 


この手のニュースがなくならないのは、それを見る人がいるからであり、自分もその一員になるのは金輪際やめることにした。

 

このようなところから情報の選り好みというのは始まるので、慎重になっていたが、こればかりは致し方ない。

 

自分一人が見ないようにしたからといって大きく状況が変化することはないと思う。

 

ただ、他人の不幸を食い物にすることに対するせめてもの抵抗ということにしておく。

完全に自由よりも、制限を設けた方が人の創造性は上がるらしい。梅雨の時期は、雨が人の行動を抑止することでその役割を果たしているのかもしれない。

雨に対しては良いイメージがなかったが、家にいる分には特に問題はない。

 

それどころか、雨音を聞きながらゆっくり読書するのは気分が良いものだ。

 

自分が嫌だったのは、「雨が降っていること」ではなく、「雨の中通学(移動)すること」だったのだということに数日前ふと気がついた。

大したことではないようだが、個人的には大きな意味を持つ。

 

 

雨が降らないように願ってもその通りにはならないが、雨の日に外に出ないことはその気になれば実現することができる。

 

雨だろうがなんだろうが通学(移動)することに慣れてしまっていたが、そこをうまく切り離すことで気分が下がる機会を減らすことができる。

 

絶対に外せないポイントではないが、自分の将来の選択における考慮事項の1つになった。

 

 


天候だと大袈裟に聞こえるが、自分の好き嫌いというのはなるべく正確に把握しておいた方が、より幸せに暮らすことができる思っている。

 

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小さなことでも積もり積もって大きな違いを生むものだ。

 

 

 

大学院の授業は今学期いっぱいはオンラインで行われる。

研究も論文を読んだり、PC上で完結するシミュレーションを回したりなど、家でできることをメインで行っている。

 

晴れの日であれば、空いた時間に買い出しに行ったり、カフェに行ったり、散歩をしたりで、外を出歩くことが多いが、雨の日はその時間の殆どを家で過ごすことになる。

 

すると、ぼんやりと考え事をしたり、部屋の片付けをしたりといった、いつもと違うことをすることになる。

 

これが毎日続くと気が滅入ってしまうと思うが、たまにだと様々な気づきがあって良い。

 

日々の生活や勉強についても、「もっとこうした方が良いかな」とか「こんなことをやってみよう」というアイデアがたくさん思いつく。

 

意図的にゆっくりとする時間を設けることが苦手だからこそ、雨にその役割を果たしてもらうのは良い考えかもしれない。

 

今週一週間は雨の予報だ。

特に書類の不備もなく、無事に法人登記が完了した。『会社の目的』の一つに「服装に関する指導及びコンサルティング」を入れてあるので実質ファッションリーダー。

定款の内容を変えるのには別途お金がかかる。

 

事業目的の変更の場合は、登録免許税として3万円が課される。

それならば、予め多くの事業を含ませておいた方が良いのではないかと思い、「事業目的」の例一覧を見ながら、それらしいものをたくさん入れておいた。

タイトルにあるファッションもその1つ。

 

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昨日「法人番号指定通知書」というのが届いた。

 

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書類に不備がなければ約1週間で手続きが完了すると言われたが、本当にちょうど1週間で届いた。

 

提出書類に不備があった場合は連絡が来ることになっていたが、特に問題なかったようだ。

 

法人番号というのは、マイナンバー(個人番号)の法人版のようなものらしい。

 

申告書や法定調書などを税務署に提出する時に必要になるとのことだ。

 

「申告書や法定調書」と言われても、現時点ではイマイチ何のことかわかっていないが、いずれわかってくると思う。

 


今現在、自分という一人の人間に対して、自然人としての個人番号と、法人としての法人番号が同時に割り当てられている状態だ。

 

「組織」のような実在しない概念に対して、法的実体を与え、「ひと」として扱うのは、今では常識として浸透しているが、考え方としてはとても面白いと思う。


そして、その「組織」は1人でも問題ないというのがさらに奥深い。

 


もう1つ個人と法人の関係で興味を持っているのは、両者の「所得」への課税についてである。

 

個人の消費は、所得税を払った後の税引き後利益が原資となる。


一方、法人の消費は、税引き前の収入で行われ、その後に残った利益に対して、法人税が課される。

 

その結果、全く同じ人が、同じ税率の基、同じ経済活動をしても、個人として扱うか、法人として扱うかで、最終的に手元に残る金額が異なってくる。

 

e.g.
所得: 100万円、消費: 50万円、所得税率: 30%の場合、最終的に手元に残る金額は、
個人→100万円 × (100 - 30)/100 - 50万円 = 20万円
法人→(100万円 - 50万円) × (100 - 30)/100 = 35万円
といった具合だ。

 

実際には個人と法人では税率が異なる。

ただ、両者共に所得金額によって税率は変化するので、簡単のため同じとした。

 

さらに追記すると、所得金額による税率の変化を考えて、うまく個人と法人を使い分けたりする場合もあるそうだ。

 

個人的にはこの辺りの法律は歪んでいると思う。

 

そして、その原因は「法人税」という存在にある気がしている。

 

法人というのは所得があってもそれを使うことはできず、個人に分配されて初めて使うことができる。

 

それならば、アメリカのLLC(Limited Liability Company; 有限責任会社)のように、法人所得には課税せず、出資者に配当された段階で、個人所得として課税するのが妥当だと思う。

 

これに関しては深堀すると長くなるので、別の機会に改めて書いてみようと思う。

日常的に行かない場所を訪れると何かしらの発見があって面白い。これまでは、その1つとして美術館にも行っていたが、最近は明示的に好きで行くことが増えてきた気がする。

少し時間ができると日常の行動範囲外の場所に行くことが多い。

 

ハイブランドのお店、寺院、話題の飲食店などなど。

 

慣れない場所に行くと、勝手がわからず、ぎこちない振る舞いになる。

そして、周りをキョロキョロと見渡して様々な情報を集めようとする。

 

この一連の体験が面白い。

 

日常生活では予想外のことはそこまで頻繁に起こるものではないし、その方が都合が良いことが多いと思う。

勉強や仕事など、集中すべきことに集中するためにも、それ以外の要素は予定調和であった方が良い。

 

ただ、そればかりでは飽きてしまうので、上記のような体験が必要になる。

 


そして、美術館にもそのような動機で行っていた。

その文脈においては、美術館は必ずしも美術館である必要はなく、「日常の行動範囲から外れる場所」の1つに過ぎなかった。

 

しかし、最近は好き好んで行くことが多い。

 

好きな理由は複数あるが、その1つとして、(経済)合理性で説明がつかないものというのは、いくらでも考える余地があるからというのが大きい。

 

芸術家と言えども、一人の人間としての生活もあるので、「どのような作品が世間に受けるか」ということも全く考えないわけではないと思う。

 

ただ、そのような外発的な動機付けと、「何かを表現したい」という内発的な動機付けの比率で言うと、後者が上回っているケースが多いと思う。

 

少なくとも、企業が行う営利活動に比べると、後者の比率は高くなってくると思う(勿論両者に良し悪しとかはないけど)。

 


その結果、経済規範では到底説明がつかないものが生まれるので、受け取り手は色々と考えることになる。

 

なぜこのようなオブジェクトを作ろうと思ったのか、なぜこのようなモチーフなのか、なぜここはこの形状なのかなどなど。

 

その創作物を生み出すに至るまでには、その作者の人生における様々な体験や思想が含まれるていると思う。

 

そのような答えのないことを考えるのは、非常に贅沢な時間のように感じる。

 

ともすれば細切れの大量の情報を処理することに終始しがちな日常とは対照的だ。

 

作品や作者、時代性など、背景知識もあるに越したことはないと思うが、考えを巡らせるだけでも十分に楽しめる。

 


営業を再開しているところが多いので、今度の休みにでもまた行ってみようと思